第2話 『鼓動』


  「長谷川さん、ちょっとまずいことがおきました」
  「どうも心臓の中に設置した極板が外れて、5pほどずれてしまったようです」
  「・・・・・」
  「このままでは極板が心臓に穴を開けてしまう危険が有るので、再度極板を設置し直します」
  「設置し直すって」
  「早い方が良い、九時から行いましょう。再手術です」
  やがて先生達は出ていった。家内とは、しばらくの間何も会話することが出来なかった。頭の中では、悪い ことばかりが浮かんでは消えていた。一日に二度も手術をするとは考えてもいなかった。一度ずれた物が二度目 にずれない保証は何もない。いや逆にまたずれてしまう可能性の方が高いのでは・・・・・。原因は、心臓の壁 が予想していたより薄かったことと、心臓が大きすぎて立ち上がった際、心臓自体が下にずれたのではないだろ うかと主治医は言っていた。この条件は、二度目の手術でも変わらない。二度目の手術も失敗したら、家に帰ろ うという約束が、暗黙の内に家内との間に出来ていた。

  愛知県犬山市に住む長谷川裕さんが、度重なる心不全、不整脈に襲われた末に、ICDの埋め込み手術を決断にした。ICDとは心臓停止や不整脈を自動的に感知して、心臓に直接電流を流すという人口蘇生器である。ライター二つを横に並べたほどの大きさのICD本体を、左胸の上部の皮下に埋め込み、一極のリード線を経静脈を通って右心房に入れ、そこから右心室の壁に心臓の内側から取り付けるという大掛かりな手術であった。手術は2000年8月16日、大阪にある国立循環器病センターで行われた。手術によって取り付けたICDのリード線の極板がずれてしまい、同日再手術することになった時の様子であった。

  長谷川さんは昭和31年三重県津市に生まれた。10年ほど前に医師から心臓が肥大していると言われ、1994年 転勤先の大分で心不全に倒れた時、拡張型心筋症と診断された。拡張性型心筋症とは心臓の左心室がふくらみ、 弾力性がなくポンプ機能が低下する進行性の難病である。1998年には湘南鎌倉病院で、肥大している心臓の左室 の一部を切除してその容量を小さくし、心臓の収縮機能を改善させようとするバチスタ手術を受けた。
  1999年にはシステムアドミニストレーターを受験し、合格。その後18年間勤めた村田機械(株)を退職した。 自宅で静養しながらコンピューター関係の仕事を始めるようになったのであった。
  1998年のバチスタ手術の3ヶ月前に自分でホームページを立ち上げ、そこで病気の症状を掲載するようにな った。もともとバチスタ手術についても、インターネット上で「医療関係」を調べていくうちに、偶然、湘南鎌 倉病院の須磨院長(当時は副院長)のホームページでその手術のことを知ったのだった。そしてEメールでやりとりをするようになり、手術する経緯に至ったのであった。
  ホームページやEメールを介して他の心筋症の患者や、またそういった患者のみならず広く人間関係を作っていった。

  2000年8月にICDの埋め込み手術を行ったわけであるが、それは根本治療ではなく、心臓停止に対する自動蘇 生器を取り付けたにすぎない。根本治療の唯一の手段は心臓移植である。国内の心臓移植患者リストの約60%が、 同じ拡張型心筋症の患者である。今回長谷川さんは心臓移植認定会議で、結果的に移植適用外と認定された。今まで国内での移植は六例にすぎないが、たとえ移植が適用されても、初年度約1千万円、その後7、8百万円という膨大な自己負担金が患者や家族にのしかかってくることになる。

  「心不全は本当にしんどいです。どれだけ息を吸っても酸素がない状態。おぼれているかんじで、もがいて、 かきむしって。それも1、2時間に10分くらいづつ続けてくるんです。一日中」
  「バチスタ手術を受ける前に、医師からあと半年しかもたないと言われたけど、それから考えると今2年半 もっているので、すくなくとも2年は長生きしたと自分では思っています。ICD を付ける時に悩んだことは、そ れを付けたとこによって自分で死ねなくなったということ。安楽死がなくなった。今までは不整脈なんかで意識 なくして、真っ暗な世界に行きそのまま死に至るということができたが、それがICDを埋め込むことによってできなくなる。でも最終的につけようと決めたのは、やっぱり家族のためですね」


* 2004年10月31日、長谷川裕さんは大阪の国立循環器病センターの病室で、奥さんとお子さん二人がお見舞いに来ていた際に眠るように亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。
* 2005年6月6日「筑紫哲也のニュース23」の「マンデープラス」で長谷川さんの奥さん(出演時には仮名を使用)がインタビューに答えられました。ここをクリックすると動画が再生されます。なお再生にはリアルプレイヤーが必要です。